虚無脱出

虚無を脱出している途中

「コミュ力」―ただのぼやき

※今回は特に解決策を与えたりといった内容ではないので、ポジティブになりたい、解決策がほしいという気持ちでこの記事を読んでいる人は読むのをやめた方が時間の無駄にならずに済みます。

今回は人間関係、特に「コミュ力」に関することについて書いていきます。

突然ですが、中途半端な距離感の知り合い(例えば、同じコミュニティでお互い顔見知りであり名前も知っているけれどそんなに話さない距離の相手)とのコミュニケーションってすごく困りませんか?

僕は中学生の頃から休日に意図せずしてショッピングモールなどでクラスメートを見かけても知らないふりをして逃げる(相手の視界に入らないようにする)人間だったので、仲の良い人以外でふとエンカウントするとどうコミュニケーションを取ったらいいのかわからないのです。

なぜかということを大学からの帰り道で考えていたのですが、適度な距離感を保とうと話す内容を考えてぎこちない会話をすることが疲れるから、というのがひとつだと思いました。深く考えずにコミュニケーションが取れるならそれはそれで楽なのですがね。なんというか、これは陰キャの宿命だなと。

そもそもコミュ力もといコミュ障とは何なのか。周りの若者がコミュ障という言葉を使っている文脈から判断すると、どうやら「私コミュ障だから~」というのは「人見知り」という意味で使っていることが多い気がします。(例:私コミュ障だから就活で周りの就活生と話せなかったわ)

「コミュ障」の定義が「初対面の人と話すのが苦手である」ということならば、友人の数が決して多くない僕でもコミュ障の定義には当てはまらないということになります。僕は全くの初対面の人と話すのはそこまで苦労しないと感じるのです。なぜなら話す(話さなければならない)ことが決まっているから。自分のプロフィールを話しつつ相手のプロフィールも聞き共通点があればそれについて話せばいい、会話の展開のセオリーが単純明快なのです。

それに対して、顔も名前も既に知っている「知人」とどのように話を広げていくか、仲良くやっていけるかというのを考えて実行する方がむしろ大変だと思います。

最初の話題に戻りますが、仲がすごく良いという訳ではないけれどもすれ違ったときに無視で済ますほどに遠い関係ではない人とどうコミュニケーションを取ったらいいのでしょうね。

理論上考えつくのは、接触する機会を増やし心的距離を縮めてコミュニケーションの気まずさ、ぎこちなさをなくすことで仲良くなるということでしょうか...しかしそもそも接触する機会が増えたからといって仲良くなれる相手だったらそもそも苦労してないか...うーん、今後の記事でまた考えていくべき問題ですなあ。他人と打ち解けるという意味での「コミュニケーション能力」、欲しい.....。